『読書間奏文』藤崎彩織

同じ歳の友達が2年前の8月、天国へ行った。

その時思ったんだ

「人生はいつか必ず終わるんだ。やりたい、こうなりたい、って思ってること、このままちゃんとやらないでいたら、やらないまま私の人生本当に終わる。」

そして今年の8月もお参りに行ってきた。

「大変だとかどうだとかは、どうでもいい。今日をちゃんと生きよう。」そう思った。

 

なるべくなるべく、大変さを避けようとするところが私にはある。

ちょっと歩くことさえも嫌い。

大変じゃなくやるにはどうしたら一番いいか?と考えちゃう。

 

そんな私に、友達の死が違う考え方を教えてくれた。

 

大変さを避けることより、今日やりたいことの方を考えるのがいいんじゃないか。

多少大変でも疲れても、今日やりたかったことをできたということが私の幸せなんじゃないか?

 

病気になる前は、すごく活動的な友達だったんだ。

 

 

そう思っているところに、この言葉が届いた。

 

「俺も楽曲制作が大変だと思うことはあるよ。でも大変っていうのを苦しいって意味だと思ってるなら、さおりちゃんはいつまでも息苦しいままなんじゃないかな」

 深瀬がポップコーンを手に取りながら言った。

(中略)

 目の前でもぐもぐと口を動かしているラブの仕事だって、本当はとても大変だ。レコーディング中は能天気にも見えるけれど、炎天下、マスクで何時間もライブをするなんて、私だったら悲鳴をあげてしまうのに、彼はいつでも陽気に仕事をこなしてきた。

 彼が大変なことを、むしろ楽しみながらやってきた事に今更気づいて、頬を膨らませながらポップコーンを食べている姿に少しだけ羨望の眼差しを向ける。

(中略)

 この胸の中にある「大変」を、「楽しかったよね」という言葉に変換出来るほど頑張ることが出来たら、この息苦しさから解放されるのだろうか。

 それともこの胸の中にある「大変」を、「苦しい」という言葉と間違わずにいられる自分になれたら、この息苦しさから解放されるのだろうか。

(藤崎彩織『読書間奏文』より)

 

「大変」と「苦しい」は違う。

大変なことをむしろ楽しみながらやる。

「大変」を「楽しかった」に変換できるほど頑張るということ。

 

ずーっと大変さを避けようとしてきた私だけど、今年の残り5ヶ月間は目標に向かおうと思ってる。

 

大変さを苦しいと言うのではなく、楽しみながら行けるといい。