お母さんへ

やっほー!

 

昔私は文通してた。転校して離れ離れになっちゃった幼なじみと。そして、おじいちゃんを亡くしてひとり暮らしになったおばあちゃんと。お手紙が届くのがうれしかったし、私のお手紙を待っててくれるのがうれしかった。

久しぶりに、お手紙書いてみたくなったから、書いてみる。

 

ちょっとせつないかんじでちゃうかな、と思いつつ、今1番書きたいのは天国にいるお母さんだから、今日はお母さんへ…

 

 

お母さんへ

 

やっほー!

お母さん、元気?天国ではなにかを思いわずらうことなく、体も元気元気で好きなことをしているのかな?天国ってどんなところかな。私たちのこと、見えたり聞こえたりするのかな?まあ、行ってみてのお楽しみだね。(天国に行けるように生きます。)

最近の私は、お母さんがこっちにいた時よりずいぶん違うかもしれない。あ、でもお母さんから見たら、変わらないのかな。わかんないけど。

お母さんがこっちにいた、最後の方の私は、今思うとすごいいっぱいいっぱいだった。小さい頃からずっと「〜したいから、する」って単純にわがままに生きてきてたのに、あのころは色んなものにしばられてたわ。それでもお母さんがそばにいてくれてたから、ずいぶん助けられてた。本当にありがとうね。

お母さんが天国へいってから、つらくなって息苦しくなったりしてたよ。(幸せはもちろん幸せだったけどね!)で、好きなものができて爆発した〜。好きなことを好きなようにやれないのがたまらなく苦しくて、なんでだろう、なにがどうなってこんなに苦しくなってるんだろうってなったよ。

お母さんが「いろんな本を読んだら、ヒントをもらえるよ」っていうようなことを言ってたのを思い出して、本を読み出したよ。今はけっこうラクになってきてる〜。大丈夫だよ〜。

最近『いま、死んでもいいように』って本を読んだんだよ。

それには

 

 …満足したいと思うように脳が設計されているくせに、その脳は絶対満足しない。…

 

 …それはすなわち、100%確実に、挫折するゲームをプレイしているようなもの。「これを手に入れたら、これを成し遂げたら、満足=幸せになる」というものがこの世に一切存在しない以上、真に手に入れるに値するもの、達成するに値する業績も、何もない。それこそが、ブッダが投げかける、痛烈なメッセージなのです。…

 

 …どうせ老いて死にゆくという、決定的な「思い通りにならなさ」にさらされている。そうであれば、細かいことで「絶対こうしたい」とか「これはこうじゃなきゃダメだ」と我を張り、思い通りにしようとすることなど、あまり意味を持たなくなるのです。

 

って書いてあった。ダイタンなこと言うよねー。人生は100%確実に挫折するゲームをしているようなものって、ひどいわーって思ったけど、でもそんなら、なんか、楽しむのが正解?って思った。なにも心配する必要ないよね?不安になる必要もないよね?思い通りにならないのが当たり前なら、楽しんだもの勝ちだよね?どうせ死ぬんだから、なんでも思いっきりやればいいよね?日常のトラブルとかやなこととかも、「あー、こういうこともあるんだよねー。人生には。よく見ておこう。」くらいに考えられる気になってきたよ。

 

「自然から与えられた人生をありがたく楽しみつつも、それを自分のものと思わずに、死ぬときはすべて自然に返す」

 

って言葉もあったよ。死ぬときは今持ってるもの全部捨ててさっぱりとした気分で死ねたらいいな。思う存分楽しんで、死ぬときは全部捨ててさー。

「今、死んでもいい」ってくらい「未来」でも「過去」でもない「今」をちゃんと感じておくのがいいのかもって思ったよ。

 

死んだら全部記憶もなくなるって書いてあった。それも、さっぱりしていいのかもね。でも、本当にそうなのかな?お母さんも全部忘れたのかな?天国に行ってお母さんにもう一度会いたいんだけどな…。

 

また、お手紙書くね。

夢で会えたら、会おうね。お話ししようね。